1杯の味噌汁

メニエール病再発日記とこれからの人生の呟きと…。フッと振り返ってみたら自分の人生は1杯の味噌汁のようだった。

負の感情

 

辛い、苦しい、悲しい、疲れた………

色々ある負の感情。

そんな出来事がおこるのを人は嫌がるし

おこらないように幸せになるために努力したりする。

 

幸せな気持ちになりたくて

好きなもの食べて

お腹いっぱいでも別腹のスイーツをたいらげて

あぁ~幸せだ!って思う。

 

けど、お腹いっぱいパンパンの【苦しさ】が本当は潜んでいる

 

健康を手にして幸せになりたくて

ジョギングする。ウォーキングする。

 

でも、体には【疲れた】が残る。

 

 

知らず知らずに

無意識に

自分が自分を苦しめていたりする。

 

気が付かないほどに

感覚が鈍くなってしまったんだろうか…。

 

 

本当に食べたいものは食べたほうがいい。

でもその食べたいものは重たい腰を持ち上げてでも行って食べたいと思うものでないと意味がない。

 

いつも食べているから。いつも飲んでいるから。

たまたまそこを通るから食べとくか…。飲んでおくか…。買っておくか…。

 

は、今食べたいもの飲みたいものではなくて単なる癖だ。

 

 

運動はしたほうがいい。

でも、したいと思った時に自分の体が喜ぶ距離(清々しい気持ちで楽しく終われる距離)で充分だ。

 

疲れても清々しさがあればいいが、ただ単に疲れたは体に負担をかけたよくない運動

 

 

飛び交う情報の中から

これを食べたらいい。運動は1日この位やったら健康になれる。

などいろんな情報はあるけれど……

1人1人は別の体でできているから

自分を意識して行動したほうが、多分健康になれるし幸せになれるし無駄もなくなる。

 

 

そもそも幸せは日々の中にすぐそこにいつもある。

 

 

幸せになりたいから。ではなく

幸せなことに意識を向ければいい。

 

幸せなことがないから意識を向ける場所がない!って思ったなら…。

世界を広く見すぎている。

 

 

 

我が家の洗濯物置き場ではないところ(なぜか扉開け締めする人が通る邪魔な場所)に

無雑作に脱ぎ捨てられた洗濯物が山になって置いてある。

 

共同生活。嫌なことは言う。

言っても直さない。というか2.3日たつと忘れるらしい。

また言う。直さない。

紙に書いて貼る。直さない。

 

諦めて私が洗濯機に洗濯物を運んで洗うが、次の日また同じ場所に洗濯物脱ぎ捨て山になる。

 

 

 

自分の負担を考えてみた。

 

言っても書いても直さないから

言うのも書くのももう無駄でそこは諦める。

 

問題は洗濯物をどうするか。

 

私が運んで洗濯すれば、間違いなくその人はそこが洗濯物置き場という認識になる。

だから毎日そこに置かれて毎日私はイライラすることになる。

 

そのまま置き続ける。

自分が着る服がなくなればいつかは自分で洗濯機にいれるだろう。

ただ、その日は洗濯物が大量になり私は干すのにイライラする。

 

結果、毎日イライラを体験するより時々のイライラのほうがいい。となり置き続けることにした。

 

 

よくできた人は洗濯物位毎日運んで洗ってあげたらいいじゃない。と思うだろうが

これが洗濯物だけだったらそれでもいい。

いろんなことが色々ある。

 

そう。共同生活が私はむいていない。

 

そんな中でも、どうしたら自分の心が少しでも穏やかにいられるかを日々感じて考えて過ごしている。

 

癖とかあたりまえとかに埋もれてしまわずに

本当に自分が求めていること。

自分の声を聴ける人でありたい。