1杯の味噌汁

メニエール病再発日記とこれからの人生の呟きと…。フッと振り返ってみたら自分の人生は1杯の味噌汁のようだった。

伝えても無意味な人②

 

 

伝えても無意味だろう人に

 

今まで溜まりに溜まった相手への不満や文句を言葉にして伝えてみた。

 

そう…私の中で

 

【思ったことはちゃんと口にしましょう】

【相手に気持ちはきちんと伝えるべき】

【言葉にしないと伝わらない】

 

このよくある言葉達が

私の中にとどまり

感情をかき乱すからだ。

 

 

 

思った事を相手に言葉にして気持ちをきちんと伝えた。

 

そしたら相手からは

【それは考えすぎじゃない??】と言われた。

 

 

今まで溜まりに溜まった気持ちを伝えた事で

その時は気持ちが少しスッキリはしたが……

 

 

伝えても無意味だろう人には

やっぱり伝わらない。

伝わらないと言うのは

伝えてもまた平然と同じ事を言ったりやったりしてくるのだ。

 

伝えられたことを反省したり、相手を思って自分の行動などを改めて直そうなどと思わないんだろう…

 

 

 

だって

相手を考えすぎるくらい悩ませてきた自分が悪いんじゃなくて

相手の考えすぎのせいと思っているのだから…

 

 

 

 

いくら伝えても

また平然と同じ事をやられた時の絶望感は大きい

 

 

そもそも

【思ったことはちゃんと口にしましょう】

【相手に気持ちはきちんと伝えるべき】

【言葉にしないと伝わらない】

 

思ったことを口にしなくてもなんとなく理解して手を差し伸べてくれる人もいる。

 

気持ちをきちんと伝えなくても自然に伝わる人もいる。

 

言葉がなくても伝わって助けてくれる人もいる。

 

 

 

 

【思ったことはちゃんと口にしましょう】

【相手に気持ちはきちんと伝えるべき】

【言葉にしないと伝わらない】

 

こういうことを言う人は

 

ちゃんと伝わる人とかかわって伝わる経験だけをしてきた人で

伝わらない人との経験がない運のいい人なんだな。

 

 

と、思ってひねくれていたが…

 

 

口にしなくても

言葉にしなくても

気持ちを汲み取って行動してくれる

優しい人がいてくれる

 

私は運のいい人間なんだなと思った。

 

 

 

 

 

 

 

面倒

 

自分のやるべきことなのに

 

自分が【面倒くさいから】と

 

やらないことは

 

 

それを誰かが引き継いでくれたという事を忘れないで欲しい。

 

誰かがその自分の面倒くさいの身代わりになってくれている。

 

その人は限りある自分の人生の時間をその自分の【面倒くさい】の為に使ってくれていること

 

忘れないで欲しい。

 

 

たとえ身代わりになった人が

そんな風に思ってなかったとしても

 

面倒くさいからと

放り投げた人は

そう思っていて欲しい

 

 

伝えても無意味な人

 

時々目に付く言葉

 

 

【思ったことはちゃんと口にしましょう】や、

【相手に気持ちはきちんと伝えるべき】や、

【言葉にしなきゃ伝わらない】や……

 

 

そうだが…

そうなんだが……

 

 

共同生活。やはり不快なことは伝える。

相手のだらしなさに巻き込まれたくないから…

 

と、昔は頑張った。

 

 

でも…

何度言葉で伝えても伝わらず

家中紙に書いて貼ってもそのうち見えなくなるらしく………

 

 

疲れてしまった。

 

 

そして

諦めるという選択をする。

期待も何もしない

 

 

そんな時にフッと目に付いたり、頭をよぎる時がある。

 

 

 

【思ったことはちゃんと口にしましょう】

【相手に気持ちはきちんと伝えるべき】

【言葉にしなきゃ伝わらない】

 

 

 

 

そして思う。

 

こういうことを言う人は

ちゃんと伝わる人とかかわって伝わる経験だけをしてきた人なんだな。と。

 

伝わらない人との経験がない運のいい人なんだな。

 

 

と、ひねくれた自分が顔をだす。

 

 

【人と向き合って頑張って生きてきた人】

という部分を見ないようにして…

【人と向き合わずに諦めた人生】

という部分を認めないようにして…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

才能と努力

 

 

ある人が「才能だね」の言葉に違和感がある。

と、SNSで伝えていた。

才能と一言で言われるけど、そうではなく努力した結果だよ。と告げていた。

 

 

その言葉がなんだかほっこりあったかくて…

 

 

【生まれ持った才能】とか

【器用なのはお父さんお母さんどっちに似たんだ】とか…

 

 

普通にあたりまえに言われたり感じたりしてきたけど…

 

 

自分の努力だと思ったことってなかったかも…

 

頑張ったからだったんだ

努力を重ねてきたからだったんだ

 

また1つ自分を好きになれた。

 

 

それと同時に

才能なんてなくて

素敵にみえるあの人もこの人も

皆頑張って努力してきたからこその今があるんだ。と思えたことが本当に良かった。

 

 

 

固定概念

 

 

ある仕事をはじめた。

4日目にして【辞めます】と告げた。

 

 

そこには鬼のような人がいたからだ。

何をやっても文句を言われ

その人の中の1ミリ単位の思考からズレたら罵声をあびせられる。

そこにいない従業員の悪口ばかり言っていて

仕事とはこういうものでしょ!と凝り固まった固定概念を押し付けられる場所だ。

 

私はここで【注意される】と【ただ単に人に当たる】の大きな違いを学ばせてもらった。

 

 

 

辞めますを伝えた時

【そんなんじゃあなたどこに行っても続かないよ!仕事ってはじめから色々言われるのは当然でしょ!今までの仕事どんな理由で辞めてきたの?!】

 

と、言われるだろうフレーズをしっかり言われた。

 

 

 

 

 

 

仕事は長くつとめるのがあたりまえ?

すぐに辞めるのはおかしなこと?

休んでばっかじゃダメ?

 

なんで皆この思考なんだろうか…

私もそんな思考だ。

 

次の仕事は長くつとめたい。

多少辛くても頑張らないといけない。

休んだら迷惑かけるから多少熱があっても行く。

 

 

子供が

仕事すぐ辞めたら…

多少の具合が悪いだけで休んだら…

休んでばかりだったら…

 

仕事って辛いの当然。

【そんなんじゃ、いい人間になれない】

 

そんな考えが浮かぶんじゃないだろうか…

 

 

世間一般のいい人間になるために

無理をしてでもそこにいて、我慢して頑張って………

 

 

何か間違っている気がする。

どこでこれが定着したんだろう……

 

 

変な固定概念のいい人間になんてならなくていい。

人であること。それで充分だ。

 

 

辞めます告げても

すぐに辞めることは出来なかったので

今日も私はあの職場へ向かう。

 

 

凝り固まった固定概念に

いつでも気づける自分でいたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の小さな枠の外

 

自分の中の小さな小さな枠の中で時々ウズウズと渦巻く

 

 

自分はいつまで子供の送り迎えをするんだろうかと。

子供とかかわれる今を大切に今しかないんだからできるだけ色々してあげたらいい。

なんて自分の余裕があるときは大きなことを思うのに…

 

小さな自分になった途端に

いつまで面倒みなくちゃならないんだ。自分のしたいこと色々犠牲にして…

なんて考えてたりする。

 

 

 

今日同い年で同い年の子をもつ女性と出会った。

その人の子は特別支援学校に行っているから毎日送り迎えで。なんて明るく話した。

 

いつもこんな人に出会う。

 

自分の小さな枠の外にはいつも自分よりも大きな枠の中で過ごしている人がいる。

 

それは贅沢とか裕福とかそんな大きさを表す枠ではなくて、視野から意識を広げたとても大切な広さ。

 

 

そんな人達に出逢い

いつも私はその人達から優しく学ぶことが沢山ある。

 

 

 

 

 

今を見て歩く

 

朝目が覚めて

今日を迎えられたことに感謝する。

 

今日、また何かができるからだ。

綺麗な景色みれたり

美味しいもの食べれたり

可愛い猫を見て嗅いでなでることができる。

 

やりたいこと、したいこと、今だからできることが沢山ある。

 

 

たとえば

嫌なことがあったとしても

1秒先はもう過ぎたことで

 

今はもうそれをただ乗り越えた自分がいるだけ。

 

嫌な気持ちを引きずっていたとしても

乗り越えたんだから大丈夫だ。

 

 

 

今の先に不安があったとしたら

それは今ではない。と、気づける自分でいよう。

そして今できることに集中する。

 

そのうち不安だったことが時間と共にやってくるかもしれないが

その時も今、今をただ楽しんでみたり、集中してみたり、不安に感じてみたりしながら進んでいけばいい。

 

その不安だった先の今にいつの間にかいるから。

そしてまた1つ乗り越えた自分と今を楽しんだり、不安になったり、怒ったりしながら歩いていく。